NHKのニュースで、最近「サイレント」に悩む学生が多い、という報道がされていました。
なんだ?サイレントって?と思ってみていたら、就職活動をしている学生が、面接をした相手企業から「採用でも不採用でも連絡しますね。だからほかの会社の面接を受けないでくださいね」と言われたのにもかかわらず、待てども待てども一向に連絡が来ない状況を指すのだそうです。それで悩むということだそうです。
どうなりましたか?と連絡すると相手の機嫌を損ねるのではと思うと電話できない、しかし、この会社を見捨てて違う会社の面接に行ってもし受かったらどうしよう、と。
一日中、携帯を手放せず、それでうつになり、心療内科に行く。たくさん来るんですよ、とお医者さんがテレビで言っていました。
日本人らしい現象だなあ。でも、かつての自分だったら僕もそうなったかもしれないなあ、と思いました。わかるなあ。
ここにあるキーワードは、「見捨てられることで、あるがままの自分の人生は開かれていく」と言うことだと思います。
私は若いころ、すごい対人恐怖症で、なにが怖かったかというとそれは、「見捨てられる」事が怖かったのですね。
だから見捨てられまいとして、相手に合わせ、愛想を振りまきそして疲れ果て、ダウンするということを繰り返してきたのです。
でも、ある時思ったのですね。見捨てるか、見捨てないかと決めるのは相手であって、それってコントロールできないじゃないか。それに執着する自分がいるからこそ、恐怖なんだ、と。
で、その後、さらにわかってきたのは、見捨てられまいとするのは、相手の価値観に合わせようとすることで、結局自分の人生を生きていないじゃないか、と。
ということは、自分の人生を生きるということは、相手に合わせないということなので、「見捨てられる」ということを普通に経験することじゃないか、と。
今は、わかりますよ。あるがままの自分を生きることは、こんな自分を批判する人も出てきます。それって当然ですよね。人の感じ方は人それぞれだから。
ヒトと違うからこそ、批判する人は批判するし、でも、それだけじゃないですよ。共感してくれる人は共感してくれる。
今までの学校生活とは、そこが違うのですね。学校生活は、みんなと同じことが求められる。ある意味、健全に「見捨てられていない」のだと思うのです。
安心かもしれないけれど、あるがままの自分を生きているというわけではない。ここを今、「サイレント」を体験している学生たちは学んでいるのだと思うのです。
でもこれって、学生だけじゃなくて、社会人になったっていつでもどこでも経験することですね。いわゆるサイレント=シカト(無視)ですから。
で、見捨てられることにものすごく敏感に反応する人が、うつ、メンタル不調になるのです。かつての私のように。
ではどうすれば解決できるのか。続きは後編で。
この記事を書いた人
日本メンタル再生研究所所長 山本潤一(脳科学心理セラピスト)
顧問・宗像恒次博士(筑波大学名誉教授)が開発した心理療法で、某上場企業では3年半、初回うつ休職者再発率0%に貢献。「脳科学心理セラピー」により、うつ・メンタル不調者への短期間での改善支援、復職支援、再発防止支援、などのサービスを行う。