マインドフルネスとお聞きになって、知っている方もいれば、はじめて知る言葉という方もいらっしゃるかもしれませんね。この「マインフドフルネス」のコラムでは、文字通り、マインドフルネスについて、いろいろな角度からお話していきたいと思います。
第一回目は、マインドフルネスの定義や起源などをお伝えします。
マインドフルネスの定義
現在、マインドフルネスは、欧米・先進諸国の間では医療・福祉・産業・大手企業などの様々な分野で盛んに行われています。欧米の主要な大学にある心理学教室では、マインドフルネスセンターが設置されており研究が進められ、そして、その流れは徐々に日本にも広まりつつあります。
それではなぜでしょうか。まず、マインドフルネスの現在の一般的な定義を確認してみましょう。
マインドフルネス・ストレス逓減法(Mindfulness Based Stress Reduction,MBSR)の創始者ジョン・カバット・ジン氏の定義では「瞬間瞬間に立ち現われてくる体験に対して、今の瞬間に、判断をしないで、意図的に注意を払うことによって実現される気づき」とされています。
また、日本のマインドフルネスの第一人者、早稲田大学教授熊野宏昭先生は「今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情には捉われないでいる心の持ち方、存在の在り様」と定義されています。
どちらも共通しているポイントは、判断を入れず(non-judgement)現在の瞬間に中心をおいた(present-centered)気づき(awareness)です。
マインドフルネスの起源とは?
さて次に、マインドフルネスの起源の話です。
マインドフルネスの起源は、仏教の中にあります。元々は古代インドの言葉である、パーリー語の「サティ」という言葉を英訳したものといわれています。漢語では「念」と訳され、日本語では「気づき」と訳されます。漢語の意味は「今の心」つまり、現在ただいまの心のありようを気づいている状態、ととらえてもよいでしょう。
そして、新しい話題としては、今年行われた第二回日本マインドフルネス学会。ここでは、東京大学の蓑輪先生が、マインドフルネスはサティ(sati)ではなくアヌパッスィー(anupassῑ)であるかもしれない、と興味深い提言もなされていました。サティは言語を介した気づきであり、アヌパッスィーは言語を介さない、あるがままの気づきを表し、マインドフルネスはアヌパッスィーかもしれないとお話しをされていました。
私自身の体験としても、マインドフルネス瞑想をしていると、言葉を介さず、生の感覚で味わう事が多いので、その説明は実体験としてもとても腑に落ちるものがありました。
続きは後編で。
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